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mitamareiki’s diary

光星からのメッセージ

執着を捨てる

 

お釈迦様は執着があるから、苦しみ、悲しみ、苦悩するのであると、説法されています

現在のインド聖者の方々も 同様に 「執着を捨てる」ことを強調され そのための

厳しい修行をされているようです。

 

食べることへの執着、好きな人への執着、お金への執着、亡き肉親への執着など

人はいろいろなことに執着し、それが叶えられないと苦しみ辛さを感じ、時には

絶望することも度々おきています。

 

執着の牢獄から開放され、いろいろなことに執着がなくなり、捉われなくなり

一週間くらい食べなくても平気だったり、好きな人への捉われがなくなり気持ちが

軽くなったり、お金が無くてもそれなりに幸せを感じ、必要以上の金銭欲が働かなく

なったりして、人は随分と苦しみ・苦悩から解き放たれます

 

全ての執着から開放されると、一機に悟りのレベルが上がってきます

 

でも、思うに、執着 そのものが悪い訳ではないと考えます

 

人は、この世で生きて行くために、自分自身を他者から守っていかなくてはなりません

自分自身を確りと今世に足をつけて生活していくためには、食べ物が必要ですし、

お金も大切なもで、お金がないと何もできません。 男性にしても女性にしても異性を

好きになることで恋愛が生まれ、結ばれ、子孫が誕生していくことで、人類社会の未来

が造られていくことも事実です。

ですから、一概に 全ての執着を捨てることには、違和感を覚えます。 この世が聖者

たちだけで成り立つのなら、それでも結構ですが、娑婆の世界で凡夫として、ある人は

農業に従事し穀物や野菜、果物などを作ってくれるから、私達は毎日、欠く事の無い

食事を頂けるのです。 農夫にとっては、天候に恵まれ穀物や野菜などが元気よく

育ってくれて、いずれ刈り取りの際には、豊かな収穫が見込めることが何よりであり

そのために、無事に農作物が育ってくれるようにと祈り・・・これは明らかに

農作物への「執着」です。 この執着心がなければ、だれも苦労して作物を作ったりは

しません。

 

つまり、「執着から脱する」ことは、悟りを得ようとする修行者にとっては大きな

テーマであっても、それを全ての人に当てはめることは 早計であると言わざるを

得ません。

 

大事なのは、いまある「執着」が 自分の目標を達成するために障害となるものであ

れば、その障害となる部分の「執着を脱する」ことです。 その障害とならない分野

での「執着離脱」は返って、その人とってはマイナス要因となってしまいます。

 

ですから、聖者方による説法で、執着を手放しなさい という説教をされても

そのまま自分に当てはめてしまうと、とんでもない方向に行ってしまうことさえ

あることを自覚してほしいです。

説法は説法で、多数に人に十把一からげに話しているのですから、個人個人に該当しな

いことも、当然、出てくることを認識すべきです。

 

 

私自身に当てはめてみますと、ある面では、「執着を捨てなければならない」ものも

あります。 しかし、他の面では、執着を捨ててしまうと、さらなる進化を遅らせる

ことも、また、真なりです。

 

私が、今日、アセンションレベルを達成できたのは、何が何でもアセンションしてやる

と、

頑ななまで アセンションすることにこだわり、執着してきたからに他なりません

 

たとえ、聖者の言葉であっても、その言葉が、自分自身に直接投げかけられたものなら

その聖者の言葉に従うことが賢明でありますが、大多数の聴衆を前にして放たれた

言葉ならば、その限りではないことを、理解するべきです

 

 

光星美者